コラム

リアル臨床2011参加者の皆様へ

2011 年 11 月 19 日 コメントはありません

このたびはご参加いただき、誠にありがとうございます。


受付開始時間は9時15分からとなっております。

その前からのお時間では受付いたしませんのでご了承ください。

また、資料は事前ダウンロード方式となっております。当日は配布いたしませんので、何卒宜しくお願い致します。


みなさんで熱い一日にしましょう!

第12回 コラム 執筆:日高 正巳

2011 年 6 月 18 日 コメントはありません

「維持期から生活期へ」

   

 地域理学療法は、とかく維持期の理学療法と呼ばれる。

そして、地域理学療法の効果を論じるときには、維持することが効果であると言われることもある。

しかし、それでいいのであろうか?もう一歩先を考えて欲しいと思う。

 リハビリテーションの視点からは、例え維持期と言われても目標を持って関わることが必要である。

リハビリテーションとは、患者・要介護者など種々の対象者が一生活者となっていくことである。

そして、維持期での介入は、そのようなリハビリテーションの総仕上げ段階の支援を行うことになる。

そして、維持期ではなく生活期(生活安定期)として、対象者が自ら生活に向き合えるようになっていくことが必要である。

 患者・要介護者など種々の対象者が一生活者となっていくことである。

そして、維持期での介入は、そのようなリハビリテーションの総仕上げ段階の支援を行うことになる。

そして、維持期ではなく生活期(生活安定期)として、対象者が自ら生活に向き合えるようになっていくことが必要である。段階の支援を行うことになる。

そして、維持期ではなく生活期(生活安定期)として、対象者が自ら生活に向き合えるようになっていくことが必要である。

 

では、生活期における目標とは何だろうか?

 対象者の1年後、半年後、3ヵ月後、1ヵ月後、2週間後、明日、数時間後と設定される期間は様々で構わない。

 しかし、その目標とした時に「どのような生活を営んでいただきたいのか」を考え、「そのためにどのように関わることが必要なのか」を考えることが大切である。 

私たちが関わることによって、対象者にどのような生活を送っていただきたいのかを明確にし、到達できたかどうかを確認できる目標を設定して初めて効果判定が可能となる。

 結果として、現在の生活と差がないかもしれない。
しかし、それは決して維持ではなく、明確な目標を持った生活の実現なのである。

 もし、専門職として理学療法士が関わるとすれば、将来の生活目標を設定し、現状の生活とのギャップを考え、そのギャップを埋めていく介入ができるであろう。

 医療機関での介入期間には、診療報酬上の制約が設けられている。
だからこそ、究極の目標である生活期での介入がますます重要となってきている。

理学療法士が増えてきたとはいえ、介護保険下での介入を含めて、対象者の生活面で理学療法を必要とされる方に十分向き合えているだろうか?

 

 

「維持目的で」ということは、どのような生活を営んでいただきたいのかという夢を描けないこと、どのような生活ができるだろうかという創造性を持てないことの表れに過ぎないだろう。

 老健、特養、通所ケアと生活期に目を向ければ、そこには、理学療法を必要とされている方が多数おられる。

そのような職域でしっかりと実績を残していくことが、今後重要になってくるであろう。
職域の拡大の前に、現在の職域において地に足をつけた活動が重要だと考える。

 

 何を目的に、どのような変化を期待して関わるのかを明確にすることが、生活期における介入のポイントであり、専門性につながるものである。

対象者の将来を常に考えて介入できるセラピストになりたいものである。

 

 

(日高 正巳)

【学 位】博士(保健学、神戸大学)、修士(教育学、佛教大学)

【社会的貢献】
日本理学療法士協会専門領域研究会物理療法研究部会運営委員
日本物理療法学会評議員
日本褥瘡学会予防ガイドライン作成WGメンバー




第11回 コラム 執筆:加藤 太郎

2011 年 6 月 18 日 コメントはありません

「理学療法の専門性とはなにか」



  私は「理学療法士」である。

個人的な活動を先に記すが、私は心肺蘇生(BLS、ACLS、ICLS)や外傷病院前救護(JPTEC)、また日本災害派遣医療チーム(JapanDMAT)などの救急医療活動に携わっている。

救命救急の世界に理学療法士も活動できることを示すこと、また救命救急が理学療法士にとっても必要な知識、技術であることを拡めていきたいと、インストラクター活動や理学療法士研修会での蘇生教育に関する発表など、現在、積極的に活動している。


今回は救命救急の世界のコラムではない(いつか書かせてもらいたい)。

 

上記活動を何年も継続していると、臨床の場面以外で医師、看護師、救急救命士、他コメディカルなど様々な他職種と多く知り合う。

初めて会うひとに「職種は?」と訊かれ、私が「理学療法士です」と答えると、「…」と少し間があく。

「リハビリテーション科です」と付け加える。

「あ~リハビリね」と少し分かってもらえる。

そして「具体的になにしているの。立ったり歩いたり?」と訊かれる。

「理学療法士」「作業療法士」の名称、具体的内容、その違いを知らない。医師も知らないことが多い。

他職種に「理学療法」「作業療法」を理解されていることは非常に重要である。

なぜなら患者の社会復帰にチームアプローチは必須である。

それぞれの専門性から、それぞれの役割を果たすことで円滑に「治療」「社会復帰」へとつながっていく。

さらに私たちは「医師の指示のもと」で初めて患者と関わることができる。

医師が正しく「理学療法」「作業療法」を理解していることは非常に重要である。

この経験から、ふと理学療法士は自らの職域を正しく理解しているかと疑問をもち、理学療法士に「理学療法とは何か」と訊いてみた。

すると実に様々な答えが返ってくる。

各個人の「理学療法観」が語られることが多い。

個々の「理学療法観」はそれぞれの感性であり、流儀であり、根幹である。

私も自分の「理学療法観」(自分の中で今後変化していくかも知れないが)を持っている。

しかし、社会的に、法的に「理学療法」「作業療法」は明確にされている。

「自らの職種の法律、理学療法の定義とは?」と訊くと答えられない理学療法士は少なくない。

そこで、今回の稿では以下に「理学療法士及び作業療法士法」を示し、「理学療法とは何か」「理学療法の専門性とは何か」を再確認したい。

「理学療法士及び作業療法士法」
(制定:昭和四十年六月二十九日法律第百三十七号)
(最終改正:平成一九年六月二七日法律第九六号)

第一章  総則の第二条で定義が示されている。

1 この法律で「理学療法」とは、身体に障害のある者に対し、主としてその基本的動作能力の回復を図るため治療体操その他の運動を行なわせ、及び電気刺激、マッサージ、温熱その他の物理的手段を加えることをいう。

2 この法律で「作業療法」とは、身体又は精神に障害のある者に対し、主としてその応用的動作能力又は社会的適応能力の回復を図るため手芸、工作その他の作業を行なわせることをいう。

 

表 理学療法及び作業療法士法による定義


  理 学 療 法 作 業 療 法
対象者 身体に障害のある者 身体又は精神に障害のある者
目 的 基本的動作能力の回復

応用的動作能力又は

社会的適応能力の回復

手 段 治療体操その他の運動を行なわせること、及び電気刺激、マッサージ、温熱その他の物理的手段を加えること 手芸、工作その他の作業を行なわせること

                (引用(一部改変):平成5年山口県理学療法士学会

 

別講演 「理学療法士の職域について」 宇都宮 初夫

厚生省医事課編(現厚生労働省)の理学療法士及び作業療法士法の解説抜粋の「第2章 用語の定義」には、「この対象、目的および手段の3点においてこの定義にあてはまらない行為は理学療法とはいえない。(中略)また、基本的動作能力とは、坐る、立つ、歩く、体や手足をまげたり伸ばしたりするといった人間にとって基本的といえるような運動能力のことをいう(後略)」と明記されている。

 

理学療法の対象は「障害のある者」である。
 

理学療法に求められている目的、結果は「基本的動作能力の回復」である。

 
理学療法に用いる手段は「治療体操、運動」「物理的手段」である。


そして基本的動作能力とは、坐る、立つ、歩くと明記されている。

法を遵守するならば「日常生活活動(Activity of Daily Living:ADL)」は作業療法士の職域となる。 

…と、このように限定すると色々と不都合を生じるかも知れない。

理学療法士が作業を用いることもあれば、ADL練習を実施することもあるだろう。作

業療法士が手技を用いて治療することもあるだろう。

ひとつの捉え方ではあるが、法で明確にされている以上、理学療法士は「物理的手段を用いた基本的動作能力の回復」に他職種に後れをとってはいけない。

また作業療法士は「作業を用いた応用的動作能力、社会的適応能力の回復」に他職種に後れをとってはいけない、のではないだろうか。

そして、私たちの専門性はここにあり、高みを目指す方向性はここにあるのではないだろうか。

現在、医療保険下で理学療法は「脳血管」「運動器」「呼吸器」「心大血管」において保険請求が認められている。

経験年数の浅い理学療法士に、たとえば呼吸器疾患や循環器疾患の担当を促すと「診たことないので」「もう少し勉強してから」と聴くことがある。

しかし、理学療法士免許を持っているということは、経験年数に関係なく、また疾患に関係なく「身体に障害のある者に対して基本的動作能力の回復を図る手段を持っている」から「理学療法士」として収入を得ているのである。

もちろん私自身も躊躇を覚える疾患もある(私はあまり心臓疾患に関わっていないので時々依頼があるとドキドキする)。

私自身含めて、どの疾患に対しても理学療法士の専門性、役割が果たせるようになるための努力は必要である。

学校数の増加に伴い理学療法士数、作業療法士数は今後益々増加していく。

今こそ、改めて自らの職域、法を知ることは大切であると考えている。

近年、「特定健康診断・特定保健指導(メタボ健診)」の運動指導に理学療法士も含まれた。

法に定められている「身体に障害のある者」の域を特定健診対象者はあてはまるだろうか。

予防医学に理学療法士が参入できたことは、法の縛りのなかで日本理学療法士協会が努力した結果であろう。

この背景から今後、予防医学など理学療法の職域は広がっていく可能性があることも最後に追記させていただきたい。


私自身の理学療法の向上、発展への努力の継続を誓い、さらに理学療法界全体の発展と、職域の拡大を願う。

そして、その全てが理学療法を必要とする人たちに還元されることを望み、稿を終えたい。

 


加藤 太郎(理学療法士)

独立行政法人国立病院機構 災害医療センターリハビリテーション科 勤務
呼吸療法認定士 介護支援専門員  [Instructor] AHA BLS   
日本救急医学会ICLS  [Provider]  AHA ACLS  
日本救急医学会JPTEC  
日本災害派遣医療チーム JapanDMAT隊員(業務調整員)

第10回 コラム 執筆:長谷川 淳

2011 年 6 月 18 日 コメントはありません

【『よきセラピスト』を目指す旅】

 

 

 「よいセラピスト」とは何か。

 

皆さんはどうお考えでしょうか。

これは私の学生時代から、そして現在に至る25年間の長い哲学的テーマです。

「よい」をコンピューターで漢字に変換してみると、「良い・善い・好い」の候補が出ます。

どれを選ぶか人それぞれの意見があり、一概にこれが「よい」とは断定し難いと思います。

ただし、患者様から見た「よきセラピスト像」を考えてみると、それ程難しくないと思います。

たぶん「早く問題を解決してくれる人」です。

「あんな先生には二度と見てもらいたくない。」と言われたくはないですよね。


 学生当時「よいセラピスト」になるにはどうすればいいのか。

わけがわからず、解剖書の丸暗記を試したりしました。

偉い先生の真似ごともしてみました。

でも結局それらは、解決法ではありませんでした。

偉い先生がしていることを観察すると、いつも同じことをしていないのです。

しかしそれは一貫性のあるもので、問題の変化に対して迅速に対応しています。

また問題の原因を捉えるのが格段に早いことでした。


幸いにも偉い先生の指導を受けることができ、教わったことを患者様に実施してみました。

残念ながら、同じ結果は出ませんでした。

「技が違うのか?」当時よく悩んだものです。

そして「なぜこの方法を選んだのか」もよく分かりませんでした。

先生曰く「それはそうやから。」と大阪弁であっさり。

先生から「それくらいのことは自分で考えろ」と言われた気がしました。

ある日、先生はヒントをくれました。

「なぜそうなるかを考えて、それを検証せよ。」と。


教科書を探しても答えは見つかりませんでした。

当時は教科書らしい本も数える程しかありませんでした。

結局、自分でああでもないこうでもないと試行錯誤を行なうことで、少しずつ分かってきました。

「もっと論理的にかつシステマティックに問題の解決法を導き出す方法はないものか」と思い、スイスに渡って徒手療法を勉強することにしました。

そこで出会ったのがクリニカルリーズニング(clinical reasoning)です。

 

“How to think“ 「臨床でどう考えるか」これがクリニカルリーズニングです。

日本国外では徒手療法の分野だけではなく、作業療法やその他のパラメディカルの分野でもかなり浸透しています。

問題解決にあたり、収集した情報から多角的に仮説を設定し、それらを検証・修正していく過程です。

遠い昔に偉い先生から得たヒントと全く同じでした。

「そんなことはもう学校で習ったよ。」と思われるでしょう。

しかし実際に患者様の目の前でこれを的確に行なうことは簡単ではありません。


具体例を出しましょう。

「腰が痛い!」と訴える患者様です。

その一言から、いろんな仮説を立てることができます。

痛みを出している組織は何か(原因)、障害の度合いと痛みの種類は(組織・疼痛メカニズム)、なぜ痛みが出る様になったのか(誘因)、治らない理由は(関連因子)、行なってはならないことは(注意事項・禁忌)、良くなるのか(予後)、痛みが良くなることで何がしたいか(治療目的)、具体的にどう指導するのか(治療と管理)など様々です。

これらの仮説を後に続く質問によって、更に絞り込んで行くことができます。

「痛みの領域」と「症状」はどうか。


もし、腰の中央部で深く鈍い痛みであれば椎間板の問題を示唆し、圧迫される様な痛みの場合は脊柱管狭窄かも知れません。

不安定性も考えられます。これを検証する為にすぐ検査するのではありません。

 

「いつどの様に痛みが変化するか」を聞けば十中八九見当がつきます。

長時間の座位で悪くなるのが、椎間板ヘルニアと不安定性です。



でもその後、立ち上がる際にいつも痛みが強まるのが椎間板で、一定しないのが不安定性の問題(が多い)です。

もし脊柱管狭窄を疑えば、長時間の歩行で悪化するかどうか、そして「坐る」もしくは「腰を丸める」ことで症状が改善するかを質問すれば分かります。

この様に書くと、依然として簡単そうですが、短時間に的確な質問をして必要な情報を聴取することは非常に難しく、患者様は聞きたい情報をなかなか提供してくれません。

それ相応のトレーニングが必要です。

治療技術を練習することと同じです。

問診から得られた情報を仮説化し、検査によってそれらを検証することでより信頼性が増します。

その情報を基に治療手技を選択し、正確に実践します。

この過程全てがクリニカルリーズニングです。

臨床での失敗はつきものです。

失敗の原因について分析することも重要です。

自分の技が悪いこともありますが、その技を選択する過程での誤りもあります。

患者様が言っていることを自分勝手に理解することもあります。

自分の得意な解決法(テクニック)を優先し、本質を見失うこともあります。

臨床での知識を増やすことも重要ですが、自分の得意・苦手を知り、自分が何を考えているのかをモニターする技術(メタ認知)をトレーニングすることも必要でしょう。

   

その昔、孫子は言いました。 「敵を知り己を知れば、百戦危うべからず。」

臨床では同じ診断名でも様々な病態が認められます。

それらに対し、診断=治療といった暗記型リーズニング(方法)では、「十人十色」の患者様たちを的確に指導することは難しいでしょう。

クリニカルリーズニングを学ぶことは「考え方」を学ぶことで、すぐには役立ちません。

ただし「なぜ」という疑問に対する答えは見つけやすくなったことは事実です。

かく言う私は、今でも結構多くの失敗をします。

ただ、その失敗に気が付くことが早くなったこと、そして「失敗」を転じて「効果」に変える技も同時に学んだことを付け加えておきます。

「よきセラピストを目指す旅、未だ終わりに近づかず。」を最後の文として稿を終えたいと思います。
                                                               


(2009.10.19 長谷川 淳 )


長谷川 淳(理学療法士)
スイス サンクトガレン州リハビリテーションセンター勤務

【主な論文・著書】
・慢性腰痛の予後判定と治療概念 理学療法学, 34 : 140, 2007
・世界に通用する臨床技術の開発と発信:過去のいきさつから将来の展望 理学療法学, 34(8) : 362, 2007.
・体幹に対する徒手療法:筋へのアプローチ 理学療法, 23(11) : 1463-1468, 2006.
・「想いにふければ」 徒手的理学療法, 4(2) : 27, 2004.
・高齢者の転倒予防とそのマネージメント理学療法, 18(9) : 886-892, 2001.


第9回 コラム 執筆:吉尾 雅晴

2011 年 6 月 18 日 コメントはありません

【要は具現化すること】

 

 

皆さんは南海ホークス、日本ハムファイターズ、阪神タイガースで主軸打者として活躍した柏原純一という元プロ野球選手を知っていますか?

日本ハムファイターズでは1981年に4番打者として大沢監督をリーグ優勝に導いた義理人情に厚い選手でした。

私は熊本の田舎の出身ですが、中学時代は部活で野球に明け暮れていました。

隣町の中学校のチームと交流戦を行うことになったのですが、私は主将で、1番二塁手。相手チームの主将はエースで4番、柏原純一でした。

結果は残念ながら1-0で敗れてしまいました。

 

惜しくも、と多くの人が思いそうですが、ところがどっこい、監督は凄い形相で私たちを怒ったのです。

「試合に負けたことを怒っているのではない。おまえ達にはなにがなんでもホームに帰ってくるという気迫がない。

1-0の差は1点ではない、無限の差がある。

0はどこまで重ねても0でしかない。」と。

彼はドラフト8位で南海ホークスに指名されたのですが、私が理学療法士になった頃にやっと1軍で活躍するようになりました。

その後の柏原の活躍はテレビや新聞を通じて知りましたが、そのたびに私は中学時代のその試合を思い出していました。

中学時代のその試合が、その後の私の人生に大きく影響することになったのです。

要は具現化すること。

思ったらとにかくやってみること、まずは動いてみて形にしてみること。

動かなかったら何も生まれることはないし、考えていないことと同じこと。

私は20年間臨床活動をしてきて、脳卒中患者がなぜあのような歩き方をするのか、なぜ肩関節が痛いのか、という基本的な問題について満足できる答えを持っていませんでした。

人間の身体の構造を知らなければその答えは出てこないのではないか、と思った私は40歳になって解剖の世界に飛びこみ、約700体の死体解剖に携わりました。

今、臨床で見えるものは15年前とは明らかに違います。

改めて思っています。

ゼロはどこまで重ねてもゼロでしかない と。

          (第7回メディリハ勉強会にて講演)                            


(吉尾 雅春 千里リハビリテーション病院 副院長)

第8回 コラム 執筆:園部 俊晴

2011 年 6 月 18 日 コメントはありません

【医療という仕事】

 

近年の医療財政は悪化の一途を辿り、特にリハビリテーションを取り囲む分野には厳しい風が吹いていると言わざるを得ません。

リハビリテーションに関わっている人の中には、モチベーションをどのように維持していいのか分からなくなっている人もいます。


その一方で、優秀な臨床家は皆学校の先生になり、真に臨床と向き合える人が少なくなったように感じているのは決して私だけではないはずです。

 しかし、こうした時期だからこそ、医療やリハビリテーションに関わる仕事がどんな仕事なのか、今一度見つめ直して欲しいと私は思います。

医療に限らず、全ての仕事が人の役に立っています。

全ての仕事が、回り回って人の笑顔をつくっているのです。


でも、よく考えてみて下さい。

目の前の人の笑顔を直接つくることのできる、そんな仕事は少ないものです

私達はそんな恵まれた仕事に携わっているということを決して忘れてはならないと思います。

たくさんの患者様が、こんな私に「先生と出会えて本当に良かった」と言ってくれます。

私はそんな仕事に就いたことを本当にうれしく思っています。

そして、“たくさんの人の本物の笑顔をつくっていく”ことが、私の生涯変わることのない社会的理念です。

この理念を強く抱き、ひたむきに前進していくことが、

親が喜んでくれる生き方であり

我が子に誇れる行動であり

そして何より自身のワクワクが増幅する土台であると強く信じています


このことを解れば、自身の働き方やビジョンに迷う理由などどこにもないのだと、私は思っています。

だから、若い先生方には、まずは自身の土台となる明確な理念を見つけてほしいと思っています。

そして、それを強く抱き、継続する心を養い、やれるだけのことを目一杯して欲しいと思っています。

一生懸命の人には、ちゃんと素晴らしい報酬が舞い込んできます。

それは、「充実」と「成長」であると私は考えています。



                                                      

(園部 俊晴  関東労災病院)

【主な論文・著書】
・慢性腰痛の予後判定と治療概念 理学療法学, 34 : 140, 2007
・世界に通用する臨床技術の開発と発信:過去のいきさつから将来の展望 理学療法学, 34(8) : 362, 2007.
・体幹に対する徒手療法:筋へのアプローチ 理学療法, 23(11) : 1463-1468, 2006.
・「想いにふければ」 徒手的理学療法, 4(2) : 27, 2004.
・高齢者の転倒予防とそのマネージメント理学療法, 18(9) : 886-892, 2001.

 

 

第7回 コラム 執筆:唐澤 幹男

2011 年 6 月 18 日 コメント 1 件

【病院見学を通じて】


私は病院見学に行く。

1月に1回ペースくらいで。本物を見るために。

 

決して自分のいる病院が悪いというわけではない。

違った環境で全く違った見方で患者様を診る本物のセラピストを視るのが楽しい。

(失礼な意味ではなく純粋に)人は一つの場所にとどまると流れが淀む。

常に新しいことに敏感で、アンテナを張っていると流れが止まることはない。

ただ,一流の仕事は一見何をしているのかよくわからない。

でも結果が出る。とても興味深い。

そしてよくわからないことを自分なりに解釈・質問するが、的は外れる。

説明されてもチンプンカンプン。

くじけず、食らつく。


「患者を良くしたいという気持ちを誰よりも強く持つことよ」 入谷語録


ねばる。

解釈、質問、少し理解,解釈・・・ずっと繰り返す。。。

 

世の中にはたくさんの手技があり、それぞれがそれぞれの視点で患者様の治療を行い、結果を出している。

ポイントは必ず結果を出していること。

どの手技が良いとか、どのセラピストが良いと言うことはなくて、それぞれに良いところがあるはず。

私は自分を持っていないのでさまざまな考え方と手技を組み合わせるしかない。

(それ故迷うことも多い)


理学療法士は大変高度な技術職だ。

だから常に自己研鑽をしなければならないし、新しい情報に敏感でなければならないと思う。

オリジナルの巧みの業を持ち、プロフェッショナルでなくてはならないと思っている。

そしてその技術は肌で覚えるものであり、職人気質をもち、常に磨き続けることが大切だ。

 

「技術が維持できていると思ってしまったときには、すでに腕は落ちている。常に成長を感じ続けることが大切なんだ。」 医龍

「理学療法は覚える学問ではなく,覚えて使う学問なの!」 入谷語録

私は病院見学に行く。

これからもずっと。
 
 



                                                                     (唐澤 幹男)


第6回 コラム 執筆:中野 佳子

2011 年 6 月 18 日 コメントはありません

【食と農 ― 安心・安全な食べ物を食べ続けるという事 

「食べ物は安全でなくてはならない。」

 

これは食の大原則であり、誰もが疑わない当たり前の事だが、昨今この安全が揺らぎ、食べ物に対する不安が広がっている。

この不安の理由はどこにあるのか。

日本の40%という食料自給率の低下からくる。(フランス130%、アメリカ120%)

自給率を上げられない理由は、日本人が米から離れ、肉・油を摂る食生活の変化にある。

そして「食料を守らなくてはいけない」という、農業に関する教育が、学校教育の中でされていない事が大きい。

EPA(経済連携協定)、WTO(世界貿易機関)などにより、関税も掛からず、自由に外国から安い食料が、大量に輸入されている。

消費者が買わなければ、当然輸入されなくなるのだが、いつでも何でも手に入る、便利で豊かな生活の裏側は?

ひとつの例として、お茶は中国から鹿児島に入り、鹿児島のお茶とブレンドされ、静岡に出荷される。

そこで静岡のお茶とブレンドされ、静岡茶になり、それが宇治にいき、宇治茶になる。

とうもろこしは、牛や豚、鶏の飼料として大量に輸入されている。

そのため自給率も下がるし、農作物には大量の水が必要な為に、日本は他国の砂漠化を増進させている事にもなる上、国内では畜産農業の糞尿公害が大きな問題となっている。

日本は気候に恵まれており、緯度、雨量に恵まれ、砂漠化しない。

よって農業に適している。

面積に対して、収穫量が乾燥して比率が一番良い作物が米。

水田は日本の宝。

今こそ転換期、外国による農地の買占めが行われる前に、日本の食生活を見直す時。

『小麦から米へ』『肉から大豆へ』。極端な言い方だが、農水省が出している1%の自給率アップのためには、必要な事なのではないか?

日本の食と農を正しく理解しない大人が、食育など出来るはずも無いと思う。

食の教育、地産地消、捨てない(小売から60万トンの廃棄物)この三つをちょっと心に留めておけば、安心・安全な食べ物を食べ続けられるのではないかと思うのだが。
                                                                    

(2009.3.6 中野 佳子 料理研究家)

第5回 コラム 執筆:大石 健二

2011 年 6 月 18 日 コメントはありません

【つながり】

 

 

 丸一年を理学療法士として過ごしたのは、実は今年が初となる。

今年一年を振り返り思うのは、このメディリハをはじめとした、いくつかの勉強会等でできた、「つながり」である。

 理学療法士としては、いつも運動、知識間の繋がりを考える。

運動は身体の多くの部位へ広がりをみせる。

また行動戦略が1つの問題に集約をみせることもある。

知識間においても、学生時代から知識の点として存在していたものが、あるときに繋がり線となり、また臨床で応用していく中で膨らんでいくことを経験すると、喜びを感じると共に、理学療法の深さを感じる。

しかし、なによりも繋がりを感じるのは、人と人の間でのつながりである。

メディリハ等の勉強会に参加する中で、自然と理学療法士同士のコミュニティができ、情報交換や、違う勉強会で出会ったときも自然と語り合うことができる。

そんな仲間をたくさん作ることができた。

理学療法士は、専門職である。

専門分野として日々向上心をもって努力をしなければならないが、専門職であるが故に、小さな殻の中での職務に追われることもある。

勉強の場への参加に大きな壁を感じ、殻に閉じこもっている人も少なくないように感じられる。

 

確かに、学んだことをそのまま臨床に応用出来るかといえば、それは難しい。

それでも学問の側面と臨床には大きな隔たりがあるわけではなく、あくまで同じ土台の上に築かれているものである。

一歩一歩前に進む、自分が出来ることを1つずつ増やす。

突然、何かが見えてくるわけではない。

「臨床で迷い、何をしていいか分からなくなったときは、一番近くにある本を開きなさい。」

そう言ってくれた、臨床実習での先生の言葉を思い出す。

今では、たくさんの理学療法士とのつながりが、理学療法士としての私を支えてくれている。小さな私にとっては大きすぎる財産である。

そのような場があることを素晴らしく思うとともに、人とのつながりの大切さを強く思う。

                                         

(2008.12.18 大石 健二)

第4回 コラム 執筆:岩澤 修

2011 年 6 月 18 日 コメントはありません

【医療制度の違いによる医療の違いについて      

           (アジア学会に出席して)】

 

 日本の医療は国民健康保険に誰もが加入し、皆が保険料を払い、保険料で国民全員の医療費を負担している。

続いて病院を経営するという観点で医療制度を考えてみると、病院というのは医療というサービスを提供する場と考えられる。

いわゆるサービス業であり患者さんが来院し医療というサービスを受けたことで初めて利益が発生する。
医療を提供する側としては患者さんには良くなって欲しいと思うのは当然であり、患者さんが治るということは来院しなくなることを意味している。

こうなってくると矛盾が生じてくる。

治った上で病院には来て欲しくないが来てくれなければ経営が成り立たないのだ。

仮にある疾患を10回の来院で治すA病院と3回の来院で治すB病院があったとしよう。

医療面ではB病院の方が優秀である。しかし経営面ではA病院の方が優秀なのである。

実際にはこんな単純に考えられるものではないが考え方としてはこうではないのだろうか。


次に米国の医療を見てみよう。

米国は国民健康保険制度は存在せず、全額実費で負担するか医療保険を提供する保険会社に保険料を払うことで負担してもらう。

仕組みとしては保険会社に保険料を納め、医療サービスが必要となった時はその保険会社に所属する医療機関を訪ねることで医療費を負担してもらう。

この制度では保険料が利益となる為、病院は出来るだけ来院して貰わない方が利益が大きいのである!!

仮にある疾患を10回の来院で治すA病院と3回の来院で治すB病院があったとしよう。この制度ではA病院の方が医療面でも経営面でも優秀なのである。

且つ、来院回数が少なく治療ができる質の良い病院を持つ方が加入者も増えるメリットがある。

それぞれの制度にメリット・デメリットがありどちらが良いとは単純にいえないもではあるが。

理想の医療を垣間見た気がする・・・。

先生曰く来院回数を減らす為には予防医学、患者教育によるセルフコントロールに主点を置いているそうだ。

基本は3回の来院、多くて5回で治療は終了するようだ。

正直この回数を聞いた時に医療制度が違うということはこういうことなのかと実感した瞬間だった。その

回数での治療を実現する為にはより精度の高い的確な評価が必要なのではと改めて評価の重要性を感じる講演だった。

                                           (2008.9.10 岩澤 脩)